笹舟

私が大病院の小外科医者だった時分、大物患者の小物手術を担当することがあった。手術前にはムンテラ(Mund Therapie [独] )つまり口頭で患者さんへ合併症を含め説明し納得していただき、笑顔でお互い握手をし一緒に手術がんばりましょうね、といわばスクラムを組むのである。ところがインターネットの普及に伴い医療訴訟が増えて来るとムンテラだけでは不十分という見解が優位に立ち必然的にIC(Informed Consent)即ち、起こりうる全ての状況を正しく説明し十分に理解してもらったうえで書面にsignしてもらうこと、要するに同意書が必須になったのである。私は正直これが嫌いだった。これじゃまるで某国の家電の分厚い取説のようだ。こんなこと絶対ありえない、誰もそんなもん電子レンジに入れたりしないって、である。型の如く前半のムンテラが終わり「まあ大船に乗ったつもりですべてお任せください」と言うと「先生、その船に穴は空いてないでしょうな、なんつってワハハ」。まさに家族団欒である。ところが後半に突如妙ちくりんな書類が出現するのである。「ごくまれに出血のため輸血をする場合がございます。さらにまれながらその血液中に検出できないウイルスが混入している場合がございます。さらにまれには死亡する場合がございます。よろしかったらここへサインをお願いいたします。」 こんなopeで輸血するわけないだろ、今までの雰囲気がぶち壊しじゃねえか、と心の中で叫んだ。「わ、わかりました。まあよろしくお願いします。ちょっと怖いけど、気をつけてやってね、先生」
大船はいつしか消え、笹舟がぽつりと浮かんでいた・・ 
(でもやっぱりICは重要です)

2018年06月11日