生きとし生けるもの 後編
ノンレムからレムへ眠りが浅くなり、ふと目覚めると窓越しに電線に複数のK(以後Ks)がトチの木の暗い葉の間から見えました。そしてKsは混声合唱団となり勝利の歌をCODAにかけクレッシェンドで高らかに歌い上げておりました。それは数々の詭計を弄するもすべて失敗に終わった私の無能さを暗喩しておりました。私は屈辱のあまり完全に理性を失い、その時点でもう脳内に何のホルモンも出なくなっていました。あるのはただKsを根絶やしにしてやる、という恐ろしい一念のみ。そしてついに臥薪嘗胆この日を待ち望んでいた青沼静馬がたった今、私に乗り移っておりました。気づくと私は、電線の上で嘲笑うKsを水攻めにしてやろうとホース片手に道路に仁王立ちしていました。しばらくお互いにらみ合ったまま膠着状態が続きました。こちらが先に水を放てばKは羽ばたきながらフンを放ち、しぶきにまみれてこちらに命中してしまうかもしれません。逆にKが先に逃げればその向きから考えて至近距離となり確実にヒットできそうです。両者が互いに最適化した状態を選択し均衡を保つ、これぞまさしくNash均衡(ノーベル賞をとったゲーム理論。囚人のジレンマに例えられる)そのものでございます。いやいや、そんな理論が通用する相手ではありません。ええいっ、めんどくせー、そんな理論なんかどうでもいい、先手必勝だぁー!
思いっきり水をぶっ放しました。しかしこの時点で私は二つの物理学的かつ超初歩的な過ちを犯しておりました。1)GL±0における水圧と空気抵抗から考えて電線まで水が到達しないこと 2)発射位置が10度の斜面、Kの仰角が80度、10+80=90度、つまり斜方ではなく鉛直投射であること かくして水はKには1滴もかからず、逆に1滴残らず私の顔面にふりかかったのであります。史上最悪かつ無慈悲、当然かつ当たり前かつ自明の結果でした。水素と酸素のコラボは、ゆがんだ放物線を描きながらすべて私の頭頸部にぶち当たりました。かといって沸騰しきった私の頭が冷めるはずもございません。ふと後ろに視線を感じたので振り向くとフランス人的な紳士が冷ややかな眼差しでこちらを見ておりました。通常外人は人と目が合うとその気もないのに口元だけニコっとするものですが今回まるでその気配もございません。左肘関節外側を右たなごろで包み込むこれまた上から目線的な姿勢で、あたかも変なおじさんでも見るかのようにトレビアーン的かつジュタスジュワニジュウ様かつリョーシューショ類の言葉を吐息まじりにオシャレに洩らしてきやがりました。しかしさすがにそれは前歯を下唇がこすりあげる完璧な発音でありました。ただどう考えてもそこ笑うところでしょ、8時だョ全員集合見てねえのかお前、と思った私は思わず「なんだい、ちみはってかっ」と言ってやりました(ウソ)。すると今度は逆サイドから変な声が聞こえました。クウェエ~。見上げるとそれはKの後方はるか上、松の茂みの中からのようです。そこにはなくなったはずの洗濯ハンガーが枝と一緒に重なっていました。巣だっ!
姿こそ見えねど蓋しそこに雛が埋もれていることに疑う余地はありませんでした。その瞬間顔面から血の気が引くのがわかりました。彼は私と同じお父さんなんだ、命を張って子供とおうちを守っているんだ、よしんば水攻めにあっても愛するわが子のために壁となり、決して動きやしないんだ・・・いつしかホースは手から離れ、同時に心の底から恥ずかしくなりました。それは目玉風船でもなく、外人に対してでもありません。理性を失いやっきになって生き物を追い詰める性分を持ちながら、これまで“生きとし生けるものを大切にしよう”などという考えをモットーにしてきたことが、とてつもない偽善に思えたのです。くやし涙が出てきました。さいわい水浸しの顔では目立ちません。ひねった右足も今頃になって痛くなってきました。気付くとフランス人は優しい笑顔でこちらを見ていました。すべてお見通しだったのでございましょう。何だか急に晴れやかな気持ちになりました。見上げるとトチの木の花が西日を浴びてキラキラ輝いておりました。
(だからといって完全にKを許したわけではありません)